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2021/06/17

高等学校

6月17日朝礼:校長講話

第5回朝礼講話 (2021.6.16)
《自律から自立へ》 ― さらなる心の成長を目指して

全校生の皆さん、おはようございます。新年度5回目の朝礼講話の時間です。

今朝のキーワードは2つあります。最初は、親や教員から指示されなくても、自分で自分をコントロールできることを意味する《自律》という言葉です。《自律》の《りつ》は自分を律するときの《りつ》。英語の《self-control=セルフコントロール》に該当します。2つ目は、読み方は同じですが、親などから独立して、独り立ちすることを意味する《自立》です。座ったり立ったりするときの《立つ》の方の《自立》です。英語では《Independence》と言います。《自律》と《自立》、紛らわしいのですが、今日は、精神的な成長を表すこの2つの言葉についてお話します。

先ず一つの例から始めます。
先月受けた中間試験のような教室での試験場面を想像してみてください。2種類の場面を挙げてみます。ひとつは、監督の教員が教壇から、生徒に対面する形で監督する場面です。もうひとつは、教員が教室の後ろにいて監督する場面です。監督の教員が正面にいる場合は、その様子がすぐにわかりますが、背後にいる場合は、生徒は教員の姿や眼差しを想像し、自分の中に取り込んで、怪しまれないように自分を律して試験に取り組まなければなりません。つまり、教員が後ろにいる方が、自分をコントロールする《自律的》な振る舞いをより強く求められるのです。

今の試験場の例は、現代の社会がどのようにして成り立っているのかを説明する際に挙げられる例えなのですが(ミシェル・フーコーという哲学者の本からの引用です)、現代の社会は、国家や政府が人々に強制的にルールやモラルを守らせなくても、人々が自ら進んで自分を律する《自律=セルフコントロール》によって成り立っているのです。試験会場の例のように、私たちはいつも他人の目や世の中のルールやモラルを自分の中に取り込んで自分を律しながら社会生活を送っているのです。

しかし、ルールや他人の眼差しをいつも自分の中に取り込んで《自律的》な生き方をしているだけでは、とても窮屈で息苦しい社会生活を送ることになります。人間的にも、ルールや規範に忠実なだけで、寛大さに欠けた心の狭い人間になります。コロナ禍の緊急事態宣言中に、営業を続けるお店や、他の県・自治体からやってきたクルマに落書きや嫌がらせをする「自粛警察」と呼ばれる人たちがこれに該当します。《適応障害》という言葉は、自分の置かれた状況に上手く適応出来ないことを意味しますが、「自粛警察」と呼ばれる人たちはその逆で、ルールや状況に「過剰に適応」しているのです。この「過剰適応」もある意味では「適応障害」のひとつだと分析する学者もいます。

そうならないためにも、私たちは、ルールや他人の目を意識する生活から独立した自分の考えや価値観を持たなければなりません。普段から、自分の頭で考える習慣を身につけていくことです。そもそもなぜそのルールが必要なのか?何のためにやっているのか?ときには、日頃守っているルールやモラルを問い直して相対化して見ることも必要になります。その場の空気を読んで周りに合わせることを求める《同調圧力》の強い日本社会では、自分を失わないためにも、自ら考え、判断できる力を伸ばすことが特に必要になります。それが出来るようになれば、成長の最終段階にたどり着いたことになります。つまり、自分で立つ《自立》の段階にステップアップしたことになるのです。

英語の《Independence》のレベルにアップグレードしたのです。これからは、この自立の力をベースに自分の考えを伝える発信力に磨きをかけていってください。国本女子の皆さんの自立と発信力に期待しています。以上で朝礼講話を終わります。

学校長 坂東修三