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2021/06/23

高等学校

6月23日朝礼:校長講話

第6回朝礼講話 (2021.6.23)  
芸術とカタルシス

 全校生の皆さん、おはようございます。新年度6回目の朝礼講話の時間です。緊急事態宣言が解除され、ようやく本来の活動が部分的とはいえ再開することができるようになりました。本日の23日は、全校揃っての芸術鑑賞日ということで、今朝の講話のテーマも、芸術に関してお話してみようと思います。

今朝のキーワードは《カタルシス》という言葉です。古代ギリシャの哲学者が用いてから現在に至るまで、芸術が私たちの精神や心に与える影響を説明する際の言葉として延々と使われています。皆さんは初めて耳にする言葉だと思います。 《カタルシス》を簡単に説明すると、「ひとりひとりの心の中にたまっているモヤモヤした気分や、鬱積した感情が、芸術作品を味わうことによって洗い流され、心が浄化されてリセットされること」を意味する言葉です。私たちの身体が生き続けるために、《新陳代謝(メタボリズム)》が不可欠なように、《カタルシス》も、例えて言えば、心や精神の《新陳代謝》のような働きをするのです。

皆さんが、ドラマや音楽を鑑賞して「涙が出るほど感動した」などと言う場合は、その作品を通して《カタルシス》を経験したことになります。休眠状態だった感情が、芸術作品と触れ合って化学変化(= ケミストリー)を起こし、喜怒哀楽という具体的な感情に変換されます。そして、作品の展開に合わせて、感情が発散され、消費されることによって、心の中の澱みも洗い流され、気持ちがリセットされる ― こうした一連のプロセスを《カタルシス》を呼びます。   

では、なぜ私たちは《カタルシス》を与えてくれる芸術に触れる必要があるのでしょうか。

私たちは日々の生活の中で、感情を外に出すのを避け、心の奥底に溜めたり抑え込んだりして生きています。社会生活では、喜怒哀楽の感情を露わに出すことは、争いやもめ事の原因になるからです。従って、その場その場で、頭をもたげてくる感情や情動を、抑圧したり、無意識の世界に追いやったりして、やり過ごして生きているのです。

しかし、感情や情動と呼ばれているものは、決してネガティブなものではないのです。それどころか、感情は、私たちの心のエネルギーの源であり、精神的活動を支えているのです。理性や論理と呼ばれているものは、実は感情や情緒がアップグレードして姿を変えたものなのです。精神医学の言葉で言う《昇華(しょうか)》の例なのです―《昇華(しょうか)》とは、感情が理性に高められることを意味します(英語でsublimationと言います)。《昇華(しょうか)》は、温度が上昇するの《しょう(昇)》に、中華料理の《か(華)》の二文字から成ります。私たちは、社会生活をスムーズに送るために、感情や情動を常に理性や論理に《昇華》して暮らさなければなりません。

でも、これはとても疲れることです。ストレスの要因になります。だからこそ、私たちには芸術が必要なのです。健全な精神生活を送るためには、作品という架空の世界で、フィクションの世界で、抑えられてきた感情を発散し、消費することが必要になるのです。音楽、文学、美術、ジャンルは問いません。《カタルシス》を与えてくれるものならばジャンルはどれでもいいのです。

最後に少しだけ補足します。 《カタルシス》を与えてくれるものは、芸術だけではありません。例えば、スポーツも私たちに《カタルシス》を与えてくれるもののひとつです。でも、何が違うのでしょうか。 芸術の《カタルシス》は、スポーツの場合と違って、カタルシスの後に心をリセットするとき、今の自分の生活を俯瞰し、振り返るきっかけを与えてくれます。なぜなら、芸術は、個人の生き方、社会への関わり、人間と自然の関係を扱っているからです。カタルシスによって、心の不純物が取り除かれると、自分の生き方を見直す方向に、気持ちのモードも自ずと変わるようになります。どうぞ、こうした機会を活かして、今の生活や生き方を振り返るきっかけにしてください。国本女子の皆さんに期待しております。    

学校長 坂東 修三