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2021/09/15

高等学校

9月15日朝礼:校長講話

2021.9.15 (水) 2学期第2回朝礼講話

 

校長:坂東 修三

 

《Learn》から《Unlearn》へ (その2)

 

全校生の皆さん、おはようございます。2学期第2回目の朝礼講話の時間ですが、最初に、昨日は2年振りの体育祭を控えて、予行演習が行われました。運営を担った実行委員の皆さんの努力に敬意を表したいと思います。来週の22日の本番の日に、全校生の皆さんが活躍する姿を楽しみにしております。

 

さて、今朝の朝礼講話は第1回目のPart2として同じテーマでお話しします。

 

Part2のキーワードは《ポストコロニアル》という歴史に関する言葉です。ポストは「何々の後の、何々の次の」の意味です。例えば、《postwar》は「戦争の後の、戦後の」の意味になります。《コロニアル》は「植民地時代の、植民地主義の」の意味で、《ポストコロニアル》は、字義通りに解釈すれば、「植民地主義が終わった後の(時代)」という意味になるのでしょうが、専門用語としては、「終わってもまだ続いている植民地主義」と定義付けられています。もっと、具体的に言えば、西欧諸国による植民地主義は20世紀半ばまで何百年も続きましたが、スペイン、オランダ、イギリスのような《宗主国》と《植民地》との間の《支配と従属》の関係がなくなったわけではなく、21世紀の現在でも姿や形を変えて続いている、と考えるのが《ポストコロニアル》運動の主張です。

 

第2次世界大戦後に植民地のほとんどが独立国家になり、政治的にはそれぞれ独自の道を歩み、国連にも加盟するようになりました。ところが、経済的には依然として、植民地時代同様、天然資源や原料の供給国として、かつての宗主国やその他の先進国の隷属状態に置かれているのが実態です。《宗主国》と《植民地》の関係は、独立後は《先進国》と《途上国》の関係に呼び方は変わったものの、経済のグローバル化によって《先進国》による《途上国》に対する経済的搾取と環境破壊は以前より加速していると言えます。ウオーラーステインというアメリカの経済学者は、《世界システム》という言葉で、《先進国》と《途上国》の《支配―従属》の関係が切り離せない表裏一体のシステムとして固定されているからこそ、先進国での豊かな生活や、さらには、資本主義経済のグローバルな発展が可能になっているとまで断言しています。

 

前回の最後では、地球温暖化の元凶であるCO2の排出をゼロにするために開発されたEVがもたらす問題点を話題に取り上げてみました。地球環境改善の切り札的存在として先進国で開発された電気自動車のEVが、皮肉なことに、途上国の環境破壊や生活破壊をもとらす要因になっている事実を、その動力源になるリチウムの産出国であるチリ共和国を例にとって見てみました。

 

同じことは、もうひとつのレアメタルであるコバルトに関しても言えるのです。コバルトもEVのリチウムイオン電池に欠かせないレアメタルなのですが、現在その60%が、アフリカでもっとも貧しい国のひとつであるコンゴ共和国で採掘されていますが、チリにおけるリチウムの場合と同様、先進国での需要をまかなうための大規模な採掘によって、水質汚染や農作物の汚染といった環境破壊や生活破壊を引き起こしているのです。そして、チリの場合よりももっと深刻なのは、強制労働や児童労働が劣悪な労働環境の中でまかり通り、人権侵害や健康被害がはびこっている事実です。

 

皆さんがご存じのアマゾンの熱帯雨林は、この50年間に20%が伐採によって失われ、欧米の人々が食べる牛肉のもととなる牛を育てるための広大な牧草地として利用されているのです。アメリカの巨大な農産業=アグリビジネスによる野放図な開発の結果なのです。

 

先進国のひとつである日本も例外ではありません。国内で排出されるプラスチックごみの60%をベトナムやマレーシアに運んで処理を押し付けているのです。途上国をごみ処理施設として利用しているのです。ゴミを分別することは重要ですが、もっと重要なのは、分別され、廃棄されたゴミがどこに運ばれてどのように処理されているかなのです。

 

先進国による途上国の軽視は、最近のワクチン接種にも顕著です。先進国では2回目のワクチン接種を済ませた人が人口の50%を越え、さらにブースターと呼ばれている3回目のワクチン接種の予定が報告されていますが、WHOの世界保健機構は、いまだ未接種の人々が何十億人もいる途上国にワクチンを配分するように呼び掛けていますが実現していません。アフリカ全体で接種済みの人の割合はわずか5%にしか届いていないのです。

 

21世紀になっても終わらない先進国による途上国の収奪や環境破壊、つまりポストコロニアルな状況を厳しく告発したのが、インド・ベンガル出身のアメリカを代表する哲学者=ガヤトリ・スピバックです。彼女は、現在ニューヨークのコロンビア大学の大学院で教鞭を執る傍ら、先進諸国から集うエリートに向かって常に問いかけるのです。「あなたたちのような社会的にも経済的にも恵まれた特権的な立場にいる方々には、知識を学習する(=learn)中で、吸収し刷り込まれた偏見や差別意識に自覚的であってほしいのです。習得した知識が、先進国中心の歴史観や、途上国を無意識に軽視する差別意識に基づいていないかを検証すべきです。そうした歴史観や価値観が、SDGsという正義のスローガンを隠れ蓑にして、多くの犠牲者を途上国で生み出していないかどうかを再考すべきです。」

 

スピバックは、私たちが学習したことのなかに潜む偏見や無意識の優越感を「捨てさる」行為を《unlearn》と呼ぶのです。私たちは、知識を学ぶだけで満足するのではなく、学んだ知識が、根拠のない偏見や差別意識を含んでいないかを検証するようにしなければなりません。いつも《learn》するだけでなく、《unlearn》することも忘れないようにしましょう。最後に、スピバックの《learn》と《unlearn》と同じ意味のメッセージをもつ言葉を紹介して朝礼講話を終わります。それは論語の一節です。「学びて思わざればすなわちくらし」、《学びて思わざれば》の《学びて》は《learn》のことです。《思わざれば》の《思う》は《unlearn》のことです。知識を鵜吞みにするだけで、背景や根拠を考えなければ、知識は薄っぺらなものに終わるという戒めです。朝礼を終わります。