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2021/10/13

高等学校

10月13日朝礼:校長講話

《2021年度 2学期第4回朝礼講話》2021.10.13(水)

 

校長:坂東 修三

 

《実名報道と匿名報道》

 おはようございます。朝礼講話の時間です。今月1日から、緊急事態宣言をはじめとしたすべての措置が解除され、実に久しぶりに日常生活が回復しつつあります。もちろん、専門家の分析では、年末にかけて《第6波の感染拡大》が到来する可能性が指摘されていますから、私たちは、引き続き緊張を緩めることなく、予防対策に努める必要があります。そして、学校行事や部活動さらには入試対策などの学校生活を徐々に取り戻していけるように、全校生の皆さんの感染予防への協力を切にお願いしたいと思います。

 

今朝のタイトルは《実名報道と匿名報道》です。キーワードは《匿名報道》という言葉です。新聞やテレビなどの事件や事故の報道で、加害者にせよ被害者にせよ、当事者の氏名を伏せて伝えるときの言葉です。実名報道にするか匿名報道にするかは、各報道機関で定めた倫理規定やメディアコードに基づいているようです。

 

《匿名報道》に関連して最初に取り上げるのは、7月18日に静岡県熱海市の伊豆山地区で発生した大規模土石流災害です。山の斜面を、土石流が、住宅を呑み込みながら濁流のように凄まじい勢いで流れ落ちる光景は、繰り返し映像で報道されましたから、全校生の皆さんの脳裏にも焼き付いていることと思います。結果として、26名の方々が亡くなられ、依然として行方不明になっている方がひとりいます。改めて被災された人々のご冥福をお祈りしたいと思います。

 

さて、この時に「はて?」と思ったことがあります。通常、この種の災害では、被災された方の身元が判明した場合には、その氏名を公表するのが習わしですが、あの時は発表されるまでしばらくタイムラグがあったのです。後になってわかったことですが、行方不明の方の氏名がわかっても、中にはドメスティックバイオレンス、つまりDVの被害者がひっそりと身を潜めて暮らしている可能性もあります。確認がとれないまま実名報道した場合、行方不明の方の生存が判明した後に、当然加害者が居住区域に押し寄せてくるリスクがあります。つまり、この場合、氏名を伏せた《匿名報道》には、被災者が、DVというさらなる犯罪被害に遭うことを防止する目的があったことになります。

 

もうひとつの事例を紹介します。少し旧聞に属する事件ですが、神奈川県相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で、2016年7月に、入所者19名が殺害され、職員を含む27名が負傷するという凄惨な事件がありました。犯人は元職員の若い男性で、社会の経済活動に参加できない障がい者は抹殺しなければならないという「優生思想」に取り憑かれた男性でした。或る特定の集団を絶滅させることをジェノサイドと言いますが、ナチスのユダヤ人撲滅はジェノサイドの代表的例ですが、犯人の男性が妄信していた「優生思想」も根本的にはジェノサイドと変わらない偏見に満ちた考え方です。

 

この時も、警察や神奈川県は、死傷者46名全員の氏名公表はせず《匿名報道》を長期間にわたって貫き通しました。理由は土石流災害災害の場合と似ています。つまり、被害に遭った方の氏名が公表されると、当人やその家族が、何らかの差別的扱いを受けることが予想されるからです。この施設の入所者は、重度の知的障害を抱えていた方が多かったのですが、残念ながら、私たちの社会は、障がい者であることや障がい者を抱えていることを、臆せずにマニフェストできるレベルに未だたどり着いていません。障がい者は、社会活動や経済活動に参加できないのだから、社会にとってはお荷物だという「優生思想」は完全には消滅していないのです。かつて医学的根拠のない偏見に基づいて、強制的に隔離されたり、不妊手術を強いられたハンセン病の人々が受けた差別も、やはり「優生思想」のひとつです。

 

人の名前や性格などの特徴、さらには職業や所属する会社や学校、つまり個人のアイデンティティを自分から明らかにすることを《カミングアウト》と呼ぶことは皆さんご存知のはずです。これに対し、他人が特定の個人に関する情報を公表することは《アウティング》と呼びます。私たちが、特定の個人に関する情報を不用意に《アウティング》することは、その個人を傷つけたり、社会的に追い込んだりしてしまうことになります。今朝、話題に挙げたふたつの事例から、もしメディアが被災者や被害者の《実名報道》つまり《アウティング》をしていたならば、災害の被害に留まったはずのことが、DVの被害を招き寄せたり、相模原の施設の場合は、事件の後も、いわれない不当な差別に遭うという二次被害にまで及んだかもしれません。私たちは、メディアの匿名報道に出会うときは、いつもその理由や背景に想像力を働かせる必要があります。表面的には災害や事件のニュースであっても、実は根深い社会的問題が潜んでいる場合が多いのです。そして背後に見え隠れしている社会的問題に思いを馳せ、被害者の立場に立って考えてみることは、私たちの内面的な成長にとって決して無駄ではないはずです。以上で、2学期4回目の朝礼講話を終わります。お疲れ様でした。 (以上)